「すたちー」
2017年03月11日
お気に入りの栃の木の下で栃の実を拾っていると、すぐそばで小さい女の子がお母さんに手を引かれながら栃の実を探し始めた。
いっぱい拾っていた私は、その女の子に自分が拾った栃の実を分けてあげた。
小さな両手いっぱいに栃の実を受け取ると、その子はいった。
「すたちー。」
「もう十分」という意味のその言葉をその子が言ったその声とその顔を、何度思い出したことだろう。
今ほしい。
すぐほしい。
もっとほしい。
気付けばもう抱えきれなくなっているのに。
「すたちー。」
あのとき、言えたらよかったのに。
あのとき、言えたはずなのに。
いま、言えればいいのに。
いま、言えるはずなのに。
今度はそうするつもり。
次はそうするつもり。
自分でためた「つもり」に躓いて、積もり積もった「つもり」に囲まれて歩くどころか息苦しさに押しつぶされそうになる。
日本にいた時に、どこにでもあった物が、ろくに手に入らない暮らしをしていたら、
日本にいた時にどこにでもあったはずなのに、ろくに見かけることができなくなったものにチェコで出会うときがある。
「すたちー。」
栃の実を抱えた女の子の隣でお母さんが声をかける。
「なんていうんだっけ?」
「ぢぇくぃ」
ありがとう。そう言ってお母さんと手をつなぎながら、私に背を向けて歩いていく。
「すたちー。」
モットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモット。
「すたちー。」
近くて遠いこの言葉。